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釧路家庭裁判所北見支部 昭和53年(家)144号 審判 1978年7月28日

申立人 (戸籍筆頭者)合田君子

主文

申立人(及びその同籍者)の氏を「村井」に変更することを許可する。

理由

一  申立人は主文同旨の審判を求めた。

二  本件記録によれば、次の事実が認められる。

1  申立人は、昭和一四年四月一〇日亡村井清造とサトの四女として出生し、昭和三七年七月前夫・森忠一と婚姻し、長男雅彦(昭和三九年一〇月二日生)、長女かおる(昭和四四年五月一五日生)をもうけたが、昭和四八年一月、二児の親権者を申立人と定めて協議離婚した。

2  申立人は、昭和五一年春ころから合田貞一と同棲を始め、申立人の長男が中学生になるのを機会に氏を改めるべく、昭和五二年四月一日同人と婚姻届をなし、その際、申立人の前記二児も合田貞一と養子縁組をした。

3  しかし、両名間の夫婦仲が悪化し、申立人は、昭和五三年五月二三日合田貞一と協議離婚し、前二児も同人と養子離縁をした。そして、申立人は、前記のとおり、前二児が「合田」に改氏してからいまだ一年余を過ぎたばかりであるため、また元の氏に戻すのは子供らがかわいそうだと考え、自分としては復氏したい気持ではあつたが、結局、離婚届出の二日後である同年五月二五日、婚姻中の氏「合田」の呼称を続けるため、戸籍法七七条の二の届出をなした。そのため、現在、申立人を戸籍筆頭者、前二児を同籍者とする「合田」の氏を称する新戸籍が編製されている。

4  ところが、その後事情が変わり、申立人は、この七月三一日に、子供らが夏休みにはいつたのを機会に、子供らを連れて札幌に引越すことになり、子供らも転校する手続をとつたので、この際、子供らとともに元の「村井」を呼称して、心機一転やり直したいと熱望するようになり、同年七月四日本件申立をなした。なお、申立人の母親や兄弟が申立人の復氏を強く希望しており、また合田貞一も「合田」を名乗り続けることに好感をいだいていない。

三  そこで判断する。戸籍法一〇七条一項の手続によつて氏を変更しようとする場合には、「やむを得ない事由」がなければならないが、もともと婚姻によつて夫婦が同氏となるのは、その婚姻共同体の一体性を表象するものであるから、それが解消したときは婚姻前の氏に復するのが自然の道理であつて、民法七六七条一項はこのことを宣明していると解せられることに鑑みれば、離婚した者が同条二項、戸籍法七七条の二により離婚の際称していた氏を称することを届出た後、長期の期間が経過しない前に、婚姻前の氏と同じ呼称に変更したい旨の申立があつたときは、特別の事情がない限り、これを広く認めて差し支えないものと解せられる。前記認定の事実関係に照せば、本件申立は、申立人が戸籍法七七条の二による届出をしてからわずか二か月たらずの期間になされているうえ、申立人らに婚姻前の氏と同じ呼称に変更すべきでない特別の事情があるとは認められない。

よつて、当裁判所は、本件申立を相当と認め、戸籍法一〇七条一項、一一九条、特別家事審判規則四条により、主文のとおり審判する。

(家事審判官 梶村太市)

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